ベーシスト、コンポーザー、エンジニアもついでにやっている息子のブログから。
リズムのオカルトについての彼の考察。
猫型の蓄音機は 1 分間に 45 回にゃあと鳴く (hatenablog.com)
さてどうなんでしょう?なかなか面白い実験だと思いますが、打ち込みベースを聴いた後で生弾きのベースを聴くと、やっぱ生に限るとつい思ってしまいます。論旨からはまったく外れてますけど。
ドラマーがこのような問題に対して参考実演をした動画もあります。
https://www.youtube.com/watch?v=xg7VCGHi8qw
重心って何だよ?それって打ち込みでは再現できないようなものなのかよ?だとすれば定量化できないわけで、オカルトでしょう?というのが息子の言い分ですね。
さて皆さんはどう考えますか?音楽をやる人はとかく情緒的な言い回しで指示を出すことが多い。その音、もっと重心を下げて重く弾いてくれとか、3連のシッポは軽く弾いて(または敢えて重く弾いて)楽曲のノリを合わせようぜとか。
あ、そこはそういう風には歌わない。多少ぶら下がってもいいから悲しい気持ちを出してちょうだいとか。
重心だけではなく、音価(音の長さ)や発音のタイミングもノリ(グルーヴ)に大いに影響を与えるので、たとえ打ち込みでもその辺は気を遣います。
最近のポップス界では非常にヒットした楽曲でも、結構ドラムやベースは打ち込んでいるものが多いですよね。それはそれで別に嫌ではないし、シンセベースなどは打ち込みでしか再現できないような音を使えたりするわけで、結局楽曲が良ければドラムやベースはソフトシンセを使おうと生弾きであろうと、楽曲の善し悪しを決定するようなものではない、というのが私の結論です。
因みに、2拍、4拍を強調したベースというのはやや不自然な感じがします(私の場合ですが)。だってキックは1拍目に入ることが多いわけで、つい同期して1拍目も強めに弾くのが人情というものでしょう?
皆さんの考えはどうですか?
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